我が子が幼少の頃からずっと寝しなの絵本読みを続けてきた
我が子がものすごい小さい頃から寝しなの絵本読みやってたなぁ。ほんとに毎日やってました。
仕事が忙しかったら定時で帰り、子供たちと一緒にお風呂入って絵本読んで寝付かせてから、会社のネットワークにつないで、寝る前の1.5時間くらい仕事してました。
息子っちが幼少の頃に始めてGirlが小4までやったから10年はやり続けたと思います。 それは、やりたかったから。
僕が幼き頃、親に寝しなの絵本読みをやってほしかったのですがやってもらえず、それを取り返している感じで絵本読みをしてきました。僕も癒やされる毎日の作法だったのです。 そのせいか二人共普段はそんなに本読まないけど読みたいと思えた小説は異様に入り込んで読みいって、あっという間に読んじゃうから時々感心します。
何十冊もの絵本を読んできて、息子っちが一番気に入っていたのは『あかいじどうしゃよんまるさん』、Girlが一番気に入ったのは『ポカポカホテル』でした。
いま、幼い子を子育て中のパパさんママさん。もし気持ちと体力に余裕があったら、親にも子供にも良い思い出になるので、寝しなの絵本読みを僕はお勧めしたいと思います (*´∇`*)
どこにでも転がってる小さな温かいものを拾い続けてみる
最近目に映る世界に対して、いいなって思うところに注目してみています。
多くの人が同じなのではないかと思うのだけど、いいことの多くを当たり前と思って流して見ていて、不快に思うことにアンテナが無意識に立って、それに対して反応したりするのではないかと思うのです。
最近ではこんな増田がありましたね。肩身狭い思いしてるのかなぁ、かわいそうにとも思う反面、んー、あまり見栄え良くないよと思ったり。
息子っちのバースデーカードがちょっとシュールになっちゃった
先日、Girlの誕生日を迎え、プレゼントと共に手書きの丁寧ではあるけれどとても急いで描いたバースデーカードを添えたばかりです。
ふぅ、終わった、良かった・・・と思ったの束の間、息子っちのお誕生日がすぐにやってくるのです。もう来年高校生か・・・。早いな・・・。
バースデーカードなのでココロが温かホカホカするような絵柄を考えていたのですが、息子っちに最近グッとくる絵とかアニメーションとか、なにかあるか聞いたらボカロのPV。Deco*27(デコツナと読む)というらしい。初音ミクは割りとみんな知っていますよね。
おいおい、これ、シュールwww。
あたたかホカホカから程遠いよ・・・と思ったのですが、受け取る本人に響くことが大切だと受け止めて、それ採用。温かいメッセージより、シュールな絵に合わせて応援メッセージ的なものに変更。
これでよかったのかな・・・と遠い目になってましたけど、息子っちがすぐにLINEのカバーページにセットしていたので、良しとします(*´ω`*)
お誕生日おめでとう。生まれた時からなにも変わらず大好きっ!
あなたは望まれて生まれてきたんだよ
先日息子っちの学校で三者面談がありました。先日の中間テストで、科目によっては200人弱の学年で1x番の成績もあれば、ほとんど最後じゃんっていう科目もあり。妻はなんだかプンプンしてて、息子っちは随分落ち込んで帰ってきました。
事情を息子っちから、ふむふむと聞いていたのですけれど、性格は真面目で優しさ偏差値は高いと思いますし、勉強に対しての姿勢は年々お兄さんに成長しているのでゆっくりではあるけれど改善していて、捨て科目とか見切りをつけているので当然その科目は点数を取れないだけ。
話を聞いてみて問題点は点数を取れなかった科目についてだけの模様で、付け加えるならば高校大学と進んでいくための志を高くもつことを学校から指摘されたようです。僕、中学生の時、そこまで先のことを考えられていなかったんですけど。
そういう話を聞いている中でどうして息子っちが落ち込むような状況になるのか不思議でした。
話を聞いていると、いかに今の息子っちがだめか、悪い成績にフォーカスしていかにだめであるか、そういう話になってしまったみたいで、考えてみればありがちな話で。悪いところにフォーカスして話すことでボトムアップを狙うアプローチだったのかなと思います。でも、息子っちは、自分が人間としてあまりに次元が低く、だめな人間であると傷ついてしまっていました。
『罪を憎んで人を憎まず』みたいな話になりますが、人は何かに失敗した時、その失敗につながる適切でない振る舞いをしたのは自分なので、自分という人間自体に嫌気がさしてしまう人も多い気がするのですが、そういう振る舞いをして失敗があるから成長するわけで、失敗がなければ自ら重く受け止めて改善しようとは思わないと思います。失敗して、そのツケが自分に返るようなことなら、自らの気づきのトリガーになるわけですし、悪いことばかりでもありません。他人に失敗する前に指摘されても、適切な振る舞いに変えることは容易でないと思うのです。
息子っちから話を聞いていて、試験期間の勉強の仕方で、ちょっとした振る舞いの修正をいれて、それが習慣化しやすいことを一緒に考えて、Next Actionとしました。息子っちには本人が自信をなくすような指摘をする人の話に耳を貸す必要はなく、いつでも『何が問題か?』に注目して、『Next Actionを考える』ために一緒に考えてくれる人の言葉を大切にするといいよと伝えました。今回の面談も、問題の気付きとNext Actionを一緒に話すだけで基本的にはいいと思うのです。
僕も学生時代、塾の講師を3年ほどやったことがあり、社会人になってから管理職にもついたことがあったのですけど、生徒やチームメンバーが傷つくような話の突きつけ方はしないように気をつけて、いつも未来の理想の姿と現状のギャップにフォーカスして、じゃ、今は何をすればいいんだろうね、っていう話し方をする様、気をつけてきました。
だから全然理解できないのです。生徒や我が子が卑屈になってしまうほど今を否定しすぎるアプローチが。
今回、息子っちに伝えました。『息子っちはAll OKだからね。なにかあったらNext Actionを考えるだけでいいんだよ。自分がいかにだめかとか、自分の存在なんて意味がないなんて思う必要はみじんもないよ。望まれて生まれてきたことを忘れないでね』と。
Girlの誕生日プレゼントは魔女に宅急便してもらいました
今年のGirlのお誕生日が先日ありました。
スマホをあげるのは中学生になってからという流れに我が家はなっているみたいなので、ずっとiPod Touchを欲しがっていました。誕生日プレゼントにしては年齢的にちょっと高いなぁと思たのですが、デバイスに理解がありすぎて甘すぎる僕は、もういい加減あげていいでしょーと甘さ爆発でパパとママからということでプレゼントしました。ケースもリクエストされたのを同時に購入してプレゼント。
妻に書いてもらおうと思っていたバースデーカードだったのだけど、妻はすでにあげるつもりでバースデーカードを別に用意していたので、このバースデーカードは僕が書いてよと言われたので、当日の昼休み、職場で慌てて描きましてん。。。
キキが誕生日プレゼントのiPod Touchをお届けにきたよ♪的な感じで。
ストレス過多で2週間の休暇を頂いたその後
先月、ストレスが過剰になっていることが会社のストレスチェックで判明して2週間の休暇を頂きました。
2週間程度の休暇がどの程度、効果があるのだろう・・・と思いながらお休みをとり、後半1週間は妻子と離れて蓼科・軽井沢(長野県)に滞在していました。ずっと行ってみたかったトンボの湯にも行きました。
結果的には独りで過ごしている間はすべてのストレッサーと物理的な接点がなくなっていたのでとても楽で鬱々として気持ちは軽減していきました。山々に囲まれて天気の良い高原を眺め、毎日何度も温泉に浸かっていたので湯治の効果もあったのだろうなと思います。
しかし、一人旅から帰るとやはり悩みの世界に戻るわけなので、一気に引き戻されました。何も変わらないように感じはしたのですが、ストレスで精神が張り詰めっぱなしでピークのままだったのを、一旦ピークから下げるだけでも、再度ピークに戻るとしてもピークから下がる時間があることは、人には大切なことなのかもしれません。
幸いなことに会社に戻ってきてからはなぜか案件が入ってこなく(社内で手配されてではなく、そもそも担当の仕事についてお客さんから問い合わせが入ってこない)状態が続いているので、ココロを落ち着かせていくのにタイミングが良かったです。
そんな中、昨日、フォローアップの面談ということで保健師の方と面談がありました(前回は産業医の方でした)。いろいろお話ができたので、前回より明らかに今は楽になってるんだなと思い、ゆるいペースの会話をしていられました。最後に保健師の方に改めてまっすぐ目を見て聞かれるまでは。
最後に保健師の方が僕に聞いた質問。ストレスチェックの時に僕は "氏にたいと思うことがある" にYesと答えていたのですが、『今は氏にたいと思うことは本当にありませんか?本当に大丈夫ですか?』の質問。一瞬僕の中でこの質問に『答えたくない』という気持ちが湧き上がりました。でも大丈夫ですと答えたのですが、昨日はどうして『答えたくない』と思ったのかわからなかったのですけど、今日思い返していて自分のことを観察していたら、僕は『約束したくない』と魂が僕に叫んできたことに気づきました。
保健師の方は僕の話を聞いて自分でやれることを論理的に考えてかなり対応しているという印象だと僕にフィードバックしました。論理的に考えられているのでまだバッファーがある証拠なのですが、ギリギリのところにいるのを自分も保健師の方も理解しているので、できるだけ自分に甘くしないといけない状況なのだと再認識しました。
それにしても、スピの人はわかると思うのですが、自分で考えたことと、魂が叫ぶことは、双方とも自分の考えで生じることに普通は思いますが、スピの人は魂の声は自分で考えたことではないこととはっきり違うことがわかると思います。僕も『約束したくない』という声は力強かったのです。
スピに興味がある人で、自分の思考からくるものと、魂からの声を聞き分ける方法を知りたいと聞かれることがあるのですが、僕も感覚的に身についてきたのでうまく説明ができないのです。
でも頭の中で浮かんできたその過程でも見分けられます。自分の思考からくるものは連想ゲームででてきた結果のもの、それは思考によるものです。魂の声は連想することなしにいきなり出てきます。直感やひらめきは魂の声と受け止めるといいと思います。思考によってでてきたものは論理的にだしたものだと思うのでそれも大切にすることが大切ですが、思考によってでてきたものを、魂の声より優先すると鬱になってしまいます。
本当にやりたいことがわからないとき、すべてのしがらみがないと仮定した時、今時分は何をしたいか、どうしたいかを自分に問いかけて出てきたそれが魂の声なのです。調子が悪くなる前に、日頃から自分にそれを問いかける習慣をもっていると自分を大切にして生きていけそうですね。