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みんなでつくる素敵な世界

すべての人が自分の得意なことで人助けして互いにそれがかみ合った世界ができたら素敵と思ってます。

薄れ行く意識の中、教えられたこと

ここ数日、夜中に1,2回、目をさましてしまってます。昨夜も夜中に目を覚まし、明け方も目を覚ましてしまって、寝直すのを諦めてベッドに横になったまままどろんでいました。

最近思っているのですが、人生において大切なことって、自分を好意的に思ってくれる人(ストーカー的な強烈な一方的なのを除く)を大切にすることなのかなということです。その関係を大切にすることができると相思相愛(異性とは限らずね)の友人に囲まれて、よい人生になっていくのではないかということなんじゃないかということ。

当たり前じゃんと思う方々もいると思うのですが、僕は遡れば遡るほど、若かりし頃はドライな性格で、愛の薄い人だったがためにそのことに気がつけないでいました。子育てして、子供たちも大きくなって、ようやくそのあたりのことに気がついてきたみたいで(;^ω^)

早朝のまどろみの中で、何人かのクリエイター(デザイナーとかハンドメイドアクセを作る方々)の友人たちと交流がなくなってしまったなぁと思い出し、どの辺で交流が消えてしまったのだろうと記憶を追っていってみました。

いくつか心当たりがありました。善意で何かをして頂けることがあって、クリエイターさんってさらっとできちゃうのだなぁ、すごいなぁ、ありがたいなぁと思い、メールで喜びとお礼をお伝えしてました。でもさらっとやっているわけじゃないでしょう。

一般人よりは早いでしょうけれどデザインを考える時間、手を使って作る時間、できあがったものをさらに良くするために見返して修正をいれる時間。プロではあっても、時間を使ってくださっているのですよね。

善意でやってもらえるって、友人として好かれているからやってもらえていると思うのですが、そういう人たちからの善意による何かを受け取ったら、メールなんかで済ませちゃいけなかったなって今は思うのです。

どれも善意だったのに、僕は、その善意を受け取って、関係を育てていくことができなかったんだなぁと。あまりに未熟でした。善意を持って接してくれる人のその善意に気がつくことは大切です。人は未熟だと、善意を当たり前と思ってしまったり、ラッキー程度に受け止めてしまいます。たとえ善意に気がつけたとしても、ありがとうとメールで伝えるだけでなく、関係を育てていくならば、お気に入りのお菓子に手書きのお手紙を添えるくらいのことをするべきだったと今は思えます。日本の古き良き文化かもしれません。

 

そんなことを寝不足の早朝に、意識があるのかないのかわからない状態で思っていました。もう一人の自分が僕に囁いてくれていたのかもしれません。

写真は最近のベランダで咲く花の様子。種を蒔きすぎたみたいでフィーバー状態。摘み取って部屋に飾ってますが次から次へと咲くのでずっとこんな状態です(;^ω^)

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