みんなでつくる素敵な世界

すべての人が自分の得意なことで人助けして互いにそれがかみ合った世界ができたら素敵と思ってます。

あなたは望まれて生まれてきたんだよ

先日息子っちの学校で三者面談がありました。先日の中間テストで、科目によっては200人弱の学年で1x番の成績もあれば、ほとんど最後じゃんっていう科目もあり。妻はなんだかプンプンしてて、息子っちは随分落ち込んで帰ってきました。

事情を息子っちから、ふむふむと聞いていたのですけれど、性格は真面目で優しさ偏差値は高いと思いますし、勉強に対しての姿勢は年々お兄さんに成長しているのでゆっくりではあるけれど改善していて、捨て科目とか見切りをつけているので当然その科目は点数を取れないだけ。

話を聞いてみて問題点は点数を取れなかった科目についてだけの模様で、付け加えるならば高校大学と進んでいくための志を高くもつことを学校から指摘されたようです。僕、中学生の時、そこまで先のことを考えられていなかったんですけど。

そういう話を聞いている中でどうして息子っちが落ち込むような状況になるのか不思議でした。
話を聞いていると、いかに今の息子っちがだめか、悪い成績にフォーカスしていかにだめであるか、そういう話になってしまったみたいで、考えてみればありがちな話で。悪いところにフォーカスして話すことでボトムアップを狙うアプローチだったのかなと思います。でも、息子っちは、自分が人間としてあまりに次元が低く、だめな人間であると傷ついてしまっていました。

『罪を憎んで人を憎まず』みたいな話になりますが、人は何かに失敗した時、その失敗につながる適切でない振る舞いをしたのは自分なので、自分という人間自体に嫌気がさしてしまう人も多い気がするのですが、そういう振る舞いをして失敗があるから成長するわけで、失敗がなければ自ら重く受け止めて改善しようとは思わないと思います。失敗して、そのツケが自分に返るようなことなら、自らの気づきのトリガーになるわけですし、悪いことばかりでもありません。他人に失敗する前に指摘されても、適切な振る舞いに変えることは容易でないと思うのです。

息子っちから話を聞いていて、試験期間の勉強の仕方で、ちょっとした振る舞いの修正をいれて、それが習慣化しやすいことを一緒に考えて、Next Actionとしました。息子っちには本人が自信をなくすような指摘をする人の話に耳を貸す必要はなく、いつでも『何が問題か?』に注目して、『Next Actionを考える』ために一緒に考えてくれる人の言葉を大切にするといいよと伝えました。今回の面談も、問題の気付きとNext Actionを一緒に話すだけで基本的にはいいと思うのです。

僕も学生時代、塾の講師を3年ほどやったことがあり、社会人になってから管理職にもついたことがあったのですけど、生徒やチームメンバーが傷つくような話の突きつけ方はしないように気をつけて、いつも未来の理想の姿と現状のギャップにフォーカスして、じゃ、今は何をすればいいんだろうね、っていう話し方をする様、気をつけてきました。
だから全然理解できないのです。生徒や我が子が卑屈になってしまうほど今を否定しすぎるアプローチが。

今回、息子っちに伝えました。『息子っちはAll OKだからね。なにかあったらNext Actionを考えるだけでいいんだよ。自分がいかにだめかとか、自分の存在なんて意味がないなんて思う必要はみじんもないよ。望まれて生まれてきたことを忘れないでね』と。